古代ローマの詩人にして哲学者のティトゥス・ルクレティウス・カルス。彼の存在は1500年近くに亘って闇に埋もれていた。ルクレティウスの残した書物である「事物の本性について」も、歴史の闇に埋もれ失われてしまった数多の書物のうちの一つと見做されていた。
1417年、イタリアの人文主義者で各地の修道院を巡り歩いて古代ラテン語の文献を探していたポッジョ・ブラッチョリーニが、神聖ローマ帝国の修道院でその失われてしまったと思われていた本の写本を見つけた。1500年に亘って忘れ去られていたエピクロス哲学が蘇った瞬間であった。
スティーヴン・グリーンブラット氏が本書で描き出しているのは、まさにこの1417年の一冊の写本が見つかってからの西欧世界に巻き起こった旋風である。一二世紀ルネサンスやカロリング朝ルネサンスという言葉が人口に膾炙されてきているが、ルネサンスとして一般に思い浮かべるイメージはやはり、イタリア半島で起こった古典の復興である。本書はルネサンスのスタートの瞬間を1417年とし、歴史や古典文学の難解な細部さえも一般読者にわかりやすく伝えている一冊である。ルネサンスの社会的、知的風土を鮮やかに描き出していることで、読者はこの人類の思想の変革期に深く浸ることができる。
さらにここに印刷文化の勃興が加わる。エピクロス哲学の影響から印刷機の影響まで、一見バラバラに見える要素は本書の中で見事に結びついている。著者は、長い間失われていた作品と、原子論、唯物論、節度ある快楽の追求というその思想が、当時の一般的なキリスト教の世界観にいかに挑戦したか、そして、最終的にはいかに衝突したかを示している。
この本は、信仰と理性、迷信と科学的探究、文化的観点を形成する文学の役割など、時代を超えた闘いを探求していることにある。本書は、知識、啓蒙、そしてどんな困難にも打ち勝つ知恵の保存を求め続ける人間の探求を、力強く思い起こさせてくれる。これはルクレティウスの残した作品の見事さに加え、著者の描き出す描写が読者を1417年に始める時代のうねりに体感させてくれる。
本書は歴史学と文学の見事な研究成果であり、人類文明の発展に古代のテキストが与えた影響の深遠さと、しばしば過小評価されがちな点を明らかにする一冊である。