德薙零己の読書記録

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ジェイソン・ヒッケル著,野中香方子訳「資本主義の次に来る世界」(東洋経済新報社)

結論から記すと、やはり脱成長は間違っている。

本書「資本主義の次に来る世界」(原著名"Less is More: How Degrowth Will Save the World")は、経済人類学者のジェイソン・エドワード・ヒッケル博士が地球規模の課題に対する解決策としての脱成長の概念について探求した一冊である。
著者は現在の成長にとらわれた経済システムの根本的な欠陥に深く切り込み、より持続可能で公平な世界に向けた代替策を提案している。
同時に、ヒッケル博士の考えを急進的と感じる。いや、急進的というより、過去の失敗の再現と映るのだ。著者の主張はよく研究されており、変革の緊急の必要性への警鐘となっているものの、それが過去の失敗の再現ともなってしまっているのである。

ヒッケル博士は、永続的な経済成長が進歩と幸福に不可欠であるという、広く受け入れられている考え方に果敢に挑戦している。さまざまな歴史的、経済的、生態学的証拠をもとに、この考え方の誤りを暴き、成長を執拗に追い求めるあまり、いかに前例のないレベルの不平等、環境悪化、社会的断絶を招いているかを本書で示している。経済システムの根幹に疑問を投げかけることで、著者は読者に対し、成長がもたらす有害な結果を批判的に検証し、代替案を検討するよう迫っている。
ただ、ここで挙がっている代替案は数多の失業者を生み出すものなのだ。無論、著者は失業者の誕生も考慮しており、他の産業の勃興による失業者の吸収を目論んでいる。ところが、著者の述べている他産業というのが、失業することとなる人達がこれまで培ってきた知識、技能、経験を全て白紙に戻し、かつ、その多くが経験を要する肉体労働なのである。現在でも雇用情勢の需要と供給のアンマッチが起こっている職種であり、また、給与の安い職ばかりなのだ。このような職業にこそ高い給与を支払うべきと著者は主張するが、人類史上のどこを探してもそのような社会が実現したことなどない。

著者の主張の中心にあるのは「脱成長」という概念であり、彼はこれを「物質とエネルギーの使用量を意図的、公平かつ持続的に削減すること」と定義している。彼は、脱成長が環境問題だけでなく、社会正義の問題にも対処できることを明らかにし、不平等に取り組むために資源と富を再分配することの重要性を強調している。脱成長の原則を実践しているコミュニティーの実例を紹介することで、ヒッケル博士は、経済発展によりバランスのとれた再生的アプローチを取り入れることの実行可能性と潜在的な利点を紹介している。

なるほど。脱成長による心の豊かさを求めるという言質は多くの人が主張してきたことだ。ただ、ここで豊かさを手に入れることができる人は、それまでの成長の果実を十分に味わい、その上で経済が成長してしまうと自分の手にしてきた豊かさが相対的に減ってしまう人なのだ。
著者は本書で資本主義社会のひずみを、資本家をはじめとする恵まれた99%に求めている。だが、実際に問題になっているのは資本家のさらに上にある存在、消費者なのだ。消費者がケチになり、次世代の豊かさを奪っているのが脱成長なのだ。

著者は本書において、単なる現状の批評にとどまらず、脱成長経済への移行に向けた包括的なロードマップを提示している。個人の行動を超越したシステム変革の必要性を強調し、気候変動と不平等がもたらす課題に立ち向かう上でのグローバルな連帯の重要性を強調している。成長を究極の目標とする一般的な物語を解体することで、ヒッケル博士は幸福、持続可能性、社会正義を優先する代替モデルへの道を本書で提示している。

前述の通り、成長からの転換は経済の安定を危うくし、雇用の喪失につながるという意見を著者は受け入れており、その上で反論に対する再反論を提示しているが、その再反論の言質は弱く、現状から乖離した机上の空論となっている。それが脱成長に対する思考の限界とするしかない。

本書はたしかに、地球の未来を憂い、一般的な成長パラダイムに代わるものを求める人にとって必読の書となってきている。従来の常識に挑戦し、より持続可能で公平な未来に向けた説得力のあるビジョンを提示しているのも、脱成長のための理路整然とした熱のこもったケースを提示しているのも、否定できる話ではない。
だが、きわめて危険である。
本書に書いてあることは意見の一つとして受け入れることはできても、現実の社会で実行して良い物ではない。
受け入れてしまったらどうなるか?
2009年からの悪夢の3年4ヶ月を思い浮かべていただきたい。
あの地獄が続くのだ。

 

本書は、脱成長を唱える人がどのような考えであるのかを知るには有用な一冊である。そして、どうして脱成長を唱える人と意見が合わないのかも理解できる一冊である。

だが、それ以外に価値はない。