德薙零己の読書記録

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スティーヴン・グリーンブラット著,河野純治訳「一四一七年、その一冊がすべてを変えた」

一四一七年、その一冊がすべてを変えた

中世ヨーロッパを暗黒時代と捉えるのは必ずしも正しいとはいえない。

しかし、古代ギリシャ古代ローマの文化や芸術が一度断絶し、現在の我々が目にすることのできる記録のいくつかを、その時代は知ることのなかった、忘れ去られてしまっていた、そういう時代であることは否定できない。特にカトリック世界を覆っていたのは厳格なキリスト教の教えであり、カトリックの教えに反することは、その概念すら存在しなかった、存在しないということにされていたのである。

本書は、15世紀初頭、ローマ教皇の秘書として古典写本の蒐集と翻訳に携わったポッジョ・ブラッチョリーニが、立場を逸脱してまで救済した一冊の「超奇書」にまつわる歴史物語である。

その一冊とは、ルクレティウス作「物の本質について」。

ポッジョ・ブラッチョリーニが1417年にドイツの修道院で、まだ帝政の始まる前、古代ローマが共和国であった頃に記された長詩「物の本質について」の写本を発見した。ルクレティウスの「物の本質について」はギリシャの哲学者エピクロスの教えを忠実に伝えようとした詩である。

これだけであれば紀元前の詩を発見しただけとなるであろう。

ところが、忘れ去られていたエピクロス学派の教えが蘇ってしまったのだ。

中世ヨーロッパは教会主導による「死への恐怖」の植え付けと、恐怖からの救済を教会が独占することで権威を保つという構造が成立していた。ところが、エピクロス学派の教えは教会主導の構造の根幹を全否定する教えなのだ。その教えが蘇ったことで構造は大きく揺らぐこととなり、それがルネサンスの勃興に一躍買うことになったのである。

ルネサンス期を学ぶとき、忘れてはならない教訓の一つにサヴォナローラがいる。なぜ修道士サヴォナローラは勃興したルネサンスを全否定し、狂信的なまでの弾圧と破壊を繰り返したのか。その問いもまた、本書を読むと見えてくる。

考えていただきたい。今まで自分が信じてきたものが全くの無意味であったと証明されたときの無力感を。全てが無駄であり、全てが無意味であり、全てが無価値であったことをまざまざと見せつけられ、いかなる反論を示そうと、その反論が全て完全に論破され、誤りだと証明され続ける状況を。怒りを伴うジローラモサヴォナローラの暴走は、同意はできないが、理解はできるのである。ゆえに、レーニンスターリン毛沢東ヒトラーポルポトプーチンなどと同様に、サヴォナローラもまた、二度と繰り返してはならない愚人の愚行として語り継いでいかなければならないのである。