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田崎健太著「横浜フリューゲルスはなぜ消滅しなければならなかったのか」(カンゼン)

横浜フリューゲルスはなぜ消滅しなければならなかったのか

現在時刻、日本時間の2024年5月26日午前0時55分。あと5分で、ACL2023-24決勝第2戦がはじまる。

今回の決勝進出を決めたのは、UAEの強豪でACL制覇経験のあるアルアイン、そして、初の決勝進出となる横浜F・マリノスである。第1戦は横浜国際総合競技場で開催され、横浜F・マリノスが2-1で勝利を手にしている。UAEで開催される第2戦は、勝つか引き分けなら横浜F・マリノスACL初制覇、1点差負けなら延長戦、2点差以上での負けならばアルアインの2度目のACL制覇となる。

さて、横浜F・マリノスの「F」。これはいったい何なのか?

Jリーグに詳しい人ならばわかるであろう、あるいは、1998年時点でニュースを観てその内容を理解できる年齢であった人であれば知っているであろう。だが、今やそうでない人も珍しくない。平成生まれの多くは、そして、21世紀生まれの人は全員が、かつてJリーグに存在していた横浜フリューゲルスという強豪を目にしてはいないはずである。

Jリーグ発足と同時に誕生した10のプロサッカークラブ、いわゆる「オリジナル10」は、様々な紆余曲折を経て現在に至っている。しかし、現在に至ることができているのはオリジナル10のうち9クラブのみであり、残る1クラブ、すなわち、横浜フリューゲルスは存在しない。1998年にクラブが消えてしまったからである。理論上は同じ横浜を本拠地とするライバルクラブの横浜マリノスとの合併であり、その際に「F」がマリノスに引きつがれることとなった。ゆえに、横浜マリノスとして誕生したクラブは現在、横浜F・マリノスという名称である。ただし、ユニフォームも、エンブレムも、横浜フリューゲルスの痕跡を見つけることはできない。ただ、クラブ名にフリューゲルスの痕跡が残るのみである。

それにしてもどうして横浜フリューゲルスは消えてしまわなければならなかったのか。公的な説明としては、親会社である全日空佐藤工業の双方の経営不振が原因であるというものである。実際、佐藤工業はその後、会社更生法の適用を受けている。また、全日空も経営見直しを図らねばならない経営状態であり、その延長上として横浜フリューゲルスへの資金拠出の見直しが必要となっている。

ただ、こうも考える。

本当に横浜フリューゲルスを消滅させる必要があったのか、と。

現在のJリーグはJ1からJ3まで各20クラブずつ、計60クラブが存在する。その中で、消滅直前時点の横浜フリューゲルスより厳しい経営を迫られているクラブはどれだけあるか? J3は無論、J2のほぼ全て。J1のクラブを観てもおよそ半分は消滅時点の横浜フリューゲルスより厳しい経営状態であると言える。言えるが、それでもクラブ消滅という選択肢は考えられない。経営が厳しくとも厳しいなりにやっていける。

クラブ消滅は悪手であったと断じるしかない。

ゆえに、こう結論づけたくなる。

横浜フリューゲルスが消滅しなければならなかった理由は、経営能力があまりにも低かったからである、と。

本書に記されている横浜フリューゲルス誕生から消滅に至るまでの経緯を振り返って痛感するのは、全日空の経営力の低さである。まともな経営者がいないのかと憤慨したくなる。航空産業ならば通用してもプロスポーツクラブの運営には通用しない経営者と、航空産業とプロスポーツクラブの双方の経営能力が無い経営者の双方しか出てこないのだ。

本書の主題は横浜フリューゲルスの消滅である。しかし、もう一つの現実も突きつけられる。この国の経営者の能力の低さもまた、失われた30年の原因の一つであるという現実である。

横浜フリューゲルスの消滅は、単なる一つの悲劇ではなく、これから幾度となく観られることとなる数多くの悲劇のスタートであったのだ……