ネオリベラルとサブタイトルにあるが、本書は世間一般で言うところのネオリベラリズムに関する書物ではない。現代のリベラリズムの根源とその意味合いについて探求した一冊であり、著者は本書において「民主主義に本質的に敵対する」形態と定義する「権威主義的リベラリズム」を定義し、その系譜を描き出している。
それでは具体的にどのようなものが権威主義的リベラリズムになるのか?
ハイエクの唱えたような、公権力を完全排除することで成立させる社会の構築を求めることが該当するのか?
そう単純ではない。
第二次大戦は多くの国を疲弊させた。敗戦国だけでなく戦勝国も疲弊していた。そうして迎えた戦後経済を建て直すために、東側だけでなく西側の国も公権力の庇護による経済の強制的な安定を作り出した。作り出したためにかえって勤労者に負担を求めることとなり、庇護がもたらす負担の重さからの脱却を図ろうとした。それは何も、ハイエクに始まりサッチャーやレーガン、そしてチリで展開されたことだけを意味するのではない。その範囲はより広く、全容を記すにはシカゴ経済学派だけを取り上げるのでは不十分なのだ。
著者は本書において、労働者の不従順からカタラルキーまでを俯瞰することで、この形態のリベラリズムを構築してきた一連の流れ、強制するために使用されたさまざまな政治的、軍事的、法的、イデオロギー的、経済的な手段を分析している。それはマクロ経済だけでなくミクロ経済にも及んでおり、社会運動が既存の状況に挑戦し、変化をもたらす方法についての洞察も提供している。こうした研究の結果、本書は現代の政治経済風景の複雑さを理解するための貴重なリソースを生みだしている。
本書は御世辞にも簡単に読める本であるとは言えない。難しい一冊だ。
しかし、社会科学を学ぶ者であるならば手にとっておいて損は無い一冊でもある。