石はどこにでも存在する。人類が土器を生み出す前に加工してきたのは、まずは石である。ゆえに、日本の歴史を辿ると最初は石器に行き着く。
それでいて、日本の歴史に石はそこまでの重要性を持っていない。全くの不必要な存在であったというわけでも、現在は不必要な存在であるというわけでもなく、過去も現在もそして未来も石は生活を構成する一部であるが、建築素材の多くに石を使う文明と異なり、日本文明の建築素材に占める石の割合はそう多くない。礎石や屋根石などもあるが、壁や柱に石が使われるケースは少ない。地震が多いこの国では当然の帰結である。
その結果、日本の歴史における石の扱いは少ない。実際には日常生活に欠かせぬ存在であり続けていたにもかかわらず、土器や木材加工品、そして金属といった素材と比べて、石に対する扱いは少ないものとなる。
本書は、日本史においてこうした低い扱いを受けてきた石について、特に考古学的観点から捉え直した一冊である。本日の記事の冒頭に述べた「石はどこにでも存在する」という概念も、深く捉えないとどこにでも存在するとなるが、深く捉えるとどこにでも存在するような代物ではないと気づかされる。黒曜石のように鋭利な加工のできる貴重な石はかなり広い交易ルートが存在していた。
貴重な石は重要な交易品となり、重要な加工品となり、日常生活に溶け込むこととなる。それは権勢を意味することもあり、財力の象徴と、そして、権力の象徴ともなった。
この国の歴史はこの状態で古代を、そして中世を迎えることとなる。