德薙零己の読書記録

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デイビッド・エプスタイン著「RANGE(レンジ):知識の「幅」が最強の武器になる」

令和5年4月5日のTwitterに「予想外の臨時収入」なる語がトレンドワードとして流れてきて、少し前に読んだこの本を思い出した。

RANGE(レンジ) 知識の「幅」が最強の武器になる

予想外の臨時収入が人類史上一人として手に入れることのできなかった奇跡であるなら、こんなトレンドワードが出てきたところで誰も気にも止めない。さらに言えば、そもそもトレンドワードとはならない。
しかし、本当にごく稀に、予想外の臨時収入を得てしまう人がいる。だから期待を持ってしまう。

本書はそのような期待を持つ人を裏切ると同時に、予想外の臨時収入がトレンドにあることを冷笑する人を裏切る本でもある。きわめて稀なことではあっても、予想外の臨時収入を得てきた人はいる。そして、そのような人がどのような人生を過ごしてきたのかを記しているのが本書である。

結論から言うと、幅広く学び、幅広く体験することである。
本書に取り上げられた例としては任天堂横井軍平氏が挙げられる。
任天堂がトランプや花札を作っている会社であることは知っているだろうが、任天堂の主な売上はトランプや花札ではない。ゲームである。

元々はトランプや花札を作っていた京都の小さな企業であった任天堂が、どうしてゲームの世界に足を踏み入れ、トップランナーとなり、京都を代表する世界有数の企業へと成長したか? これも広い意味では予想外の臨時収入であると言えるが、任天堂は全くの無から臨時収入を手にしたわけでは無い。

横井軍平氏は大学で電子工学を学んだ若者であったが、現在の任天堂から想像できる製品を生み出したくて任天堂に入ったのではない。地元の京都から離れたくなくて京都にある企業に就職したのである。これこそが任天堂にとっての予想外の臨時収入であった。

横井氏は様々な趣味を持つ人であった。入社間もない横井軍平氏はやることがなく、趣味のものを持ち込んで会社の中で遊ぶこともあったし、材料を持ち込んで会社のものを使って遊び道具を作ることもあった。

遊んでいる様子を社長に見られて咎められるかと感じた横井氏であったが、社長の判断は違った。「これは売れる」と横井氏の作った遊び道具を玩具として売り出すことにしたのである。任天堂最初のヒット作「ウルトラハンド」の登場である。ウルトラハンドは大ヒット商品となった。

その裏には任天堂を世界有数の企業へと発展させるのに必要な企業文化と、従業員が積み上げてきた体験とがあった。花札やトランプで培ってきた玩具に対する見識が重なった結果である。

任天堂は横井氏の知識も活かして、1970年代には低額化してきた電子工学機器の玩具利用に乗りだしてラブテスターをはじめとするヒット商品を売り出すと、1980年に電卓の玩具利用からゲーム&ウォッチが生みだし、ファミコンスーパーファミコンも誕生した。

この頃の任天堂の製品で、ビジネスの観点から特筆すべきはゲームボーイである。ゲームボーイは当時としても最新技術というわけではなく、むしろ見劣りする製品であった。画面は白黒で、しかも小さい。誰もが競合企業に負けると考えた。

しかし、勝利者任天堂だった。ファミコンで掴んだ地位を活かしたからゲームボーイが成功したのではない。長持ちし、頑丈で、ソフトが面白かったから成功したのである。横井軍平氏は画期的な技術を生み出したのではない。幅広く学んで体験してきたことを活かして製品を作り出したのである。

横井軍平氏が亡くなられた後も任天堂は新たな製品を生み出し、エンパワリング・イノベーションを起こしている。その中でも顕著な例は、Wiiのユーザーとなったエリザベス女王だろう。孫のウィリイアム王子とともにWiiで遊ぶ姿はニュースとなり、Wiiの世界的売れ行きを生み出した。

ドラッカーイノベーションの第一条件に「予期せぬ成功と失敗」を挙げているが、その資源として必要なのは多様な経験と学習であり、その上で何度もチャレンジすることで成功、今日のトレンドワードで言うところの「予想外の臨時収入」を得られる。

本書はそのことを以下のように比喩している。「何度も三振するが、大きな満塁ホームランも打つ」。と。しかも、野球では最大でも4点しか得られないが、広い世界では一度に1000点以上獲得できる。それこそが「予想外の臨時収入」と言えるだろう。