德薙零己の読書記録

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佐伯有清著「最後の遣唐使」(講談社学術文庫)

結果的に最後の遣唐使となった第19回遣唐使(承和5(838)-承和6(839))で帰国した391名のうち、376名が大幅に位階を上げた。

内訳は、
9階:12名
8階:39名
7階:59名
6階:129名
5階:134名
4階:2名
3階:1名

なお、計651名での出航計画である。

遣唐使が冒険行であったことは多くの人が知るところであろう。ただし、大雑把な感覚として冒険行であったという知識だけがあり、具体的にどのような危険な公開であったのかを知る人は少ないはずである。

本書は、続日本後紀にも記された第19回遣唐使である承和5(838)年から承和6(839)年にかけての遣唐使渡航の経緯を記したものであるが、その内容は想像以上に壮絶である。上述の651名中391名の帰還、すなわち、およそ六割の帰還率というのは壮絶に感じるであろうが、もっと壮絶なことを記すと、この六割という数字は遣唐使においては珍しい割合ではない。

それにしても、なぜ遣唐使はここまで危険な航海になったのか?

簡単にまとめると三点存在する。

一点目は船そのものの構造の欠陥。とてもではないが外洋航海に適した船ではない。それこそ船というより海に浮かぶ箱である。

二点目は航海のタイミングである。航海に適したタイミングで唐に渡るのではなく、唐の皇帝に謁見するのに最適なタイミングでの出港である。すなわち、必ずしも航海に適したタイミングでの航海ではない。

最後に、航路である。かつては朝鮮半島西岸の沿海航路であったが、新羅が日本に頻繁に侵略を繰り返していること、また、新羅の海賊の跋扈もあって、日本から出港する船は朝鮮半島を離れて東シナ海を東から西へ横断せざるをえなくなった。

これだけの悪条件が重なると船が安全に航海できるとは思えない。

詳細は続日本後紀、そして、本書を参照いただきたいが、もう一点、実に有用な作品が存在する。

最後の遣唐使について詳細を知りたい方はぜひともこちらの作品を御覧になっていただきたい。

平安時代叢書 第三集「中納言良房」を。

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