德薙零己の読書記録

お勧めの書籍や論文を紹介して参ります。

おじいちゃんといっしょドラッカー講座朱夏の陽炎

ヨハン・ノルベリ著「OPEN:『開く』ことができる人・組織・国家だけが生き残る」(ニューズピックス)

1939年の第二次世界大戦勃発直後、ナチスからの侵略に抵抗するためイギリス国内で多くの人が軍に入った。その中には植物学者のジョフリー・タンディ氏もいた。イギリス国防省は新たに入隊した人物の肩書きに仰天した。タンディ氏は cryptogrammist(暗号文研究者)だというのだ。

タンディ氏は入隊してすぐにブレッチリーパークの政府研究所に送られた。その研究所はナチスの暗号解読を研究する秘密部署であり、その秘密部署は以前から cryptogrammist(暗号文研究者)を求めていた。その cryptogrammist(暗号文研究者)が入隊したのだ。

ところがここでタンディ氏の素性が判明した。cryptogrammist(暗号文研究者)ではなく cryptogamist(隠花植物学者)だったのだ。植物の中でも海草やコケ、シダといった植物を研究していたタンディ氏の職業のスペルがたまたま、政府研究所の求めている職業に似ていたのだ。

かといって、ここで政府研究所から外すこともできなかった。何しろ暗号解読そのものが機密事項であり、タンディ氏を政府研究所から外そうものならただちに機密事項が漏れてしまう。そうなるぐらいならタンディ氏を政府研究所に滞在させ続けるほうがマシだった。

そうして2年間が経過した1941年、ナチスの暗号文を解読するヒントとなる文書が見つかった。ところがここで大問題が見つかった。水に濡れて破損寸前だったのだ。暗号解読の前に濡れた文書をどうにかして保存しなければならないという問題が見つかった。政府研究所にそんな技能を持った人間は……

いた! タンディ氏だ! タンディ氏は暗号解読のスペシャリストではないが濡れた資料を保存する専門家だ。タンディ氏からの指揮のもとで完璧な形で文書が保存され、破損を逃れた文書をもとにナチスの暗号を解読する作業が始まり、その成果もあってイギリス軍はナチスを打ち負かすことに成功した。

ここに、イギリスがナチスを打ち負かしたのは cryptogrammist と cryptogammist という2つの英単語のスペルの違いが生んだ偶然だったという伝説が生まれた。そう、伝説が……

そうであれば面白かったであろうが、実は正しくない。政府研究所にタンディ氏がいたのは事実であるが、タンディ氏は間違えて採用されたのではない。タンディ氏は植物学者としての能力だけでなく、植物学を研究する上で身につけてきた文書管理、言語分析、記録保管の分野の能力を持ち合わせていた。

政府研究所はタンディ氏をはじめとする様々な分野のスペシャリストを採用していた。数学、幾何学統計学言語学、文学、そしてタンディ氏のように植物学のスペシャリストを集めることで、戦争に勝つための様々な分野の研究を進めていた。暗号解読はそれらの研究のうちの一つであった。

同じ時期、ナチスユダヤ人であるという理由だけで多くの研究者を迫害していた。迫害された研究者達の生み出した論文は1933年に発表された論文の参照件数の50%を占めていた。

その当時のイギリスはわかっていた。知的進歩に必要なのは様々な視点から捉えること、そして、捉えることが許されることにあると。その知的進歩こそ、時代を掴み、生活を豊かにする基礎であることを。