今日はもう11月の最終日、明日からはもう12月、もう2025年も終わりである。
本書が上梓された2018年にとっての2025年とはもう少し先の未来というイメージであり、二つのことを除いては既に本書において2025年の経済が予期されていたのである。
その二つとは、COVID-19、そして、ロシアのウクライナ侵略。
これは2018年時点では予期できていない出来事であったが、それ以外の現在の経済情勢は予期できていた。
なぜか?
既に2018年時点で現在の経済情勢の萌芽が見えていたのである。
それが本書の副題である、人口減少社会とAIの到来である。
減っていく人口が一瞬にして増えるなどということは無い。いまから急激なベビーブームが起こって新生児数が仮に200万人に増えたとしても、その200万人が産業界にカウントされるようになるのは20年は掛かる。しかも、新生児がそれだけ増えるということは、現在の産業界を担っている現役世代のリソースを減らすことにもなるのだ。ただでさえ減っている現役世代のリソースの少なくない部分が高齢者の面倒のために奪われているところに、さらにプラスアルファでリソースを奪うことはできない。
ゆえに、産業界を担う人口の穴埋めを、AIを中心とする産業構造の転換によって充填しなければならない。そのほうが儲かるとか、なんだかそういった真新しいものがあるという興味とかではなく、産業構造の転換について来れない場合に待っているのは業務破綻なのである。新しいことはわからないという逃げ腰で最新技術について来れないままでは取り残される。IT介護という言葉があるが、ついて来れない人の分まで面倒を看させられるという現役世代が背負わねばならない負担が回る。
現在の社会は極論すると、時代について来れている人が得をして、ついて来れない人が損をする社会になっている。それは正しい社会構造であると言える。時代について来れている人というのは社会を動かしている人のことなのだ。その人達が多少なりとも得をする社会にしなければ社会そのもの瓦解するのだ。そのような社会にすることができたのは、少なくとも本書が上梓された2018年には既に未来が見えていたからであると言えよう。
間もなく2025年を終えようとする現在の視点から2018年に上梓された本書を読むと、いまの生活は7年前に予期されていた近未来の社会なのだと、そういう社会になるようにと日々奮闘し続けている現役世代のおかげで社会が成り立っているのだと、改めて痛感する。
それは同時に、2025年年末を間もなく迎えようかという現時点で考える近未来の姿が、現時点で見えている社会問題と未来の産業構造の姿によって描き出されている構図とも言える。



