昨日、𝕏(旧Twitter)で東京の日暮里で建設中のマンションの写真についての投稿がタイムラインを賑わせていた。
建設中のマンションがこんなに大きいとは思わなかった。夕やけはもう見えない。 pic.twitter.com/aBEgqW4NO4
— Ian McEntire (@ikurobiscuits) 2025年11月26日
その多くはかつての美しい光景を懐かしみ、もう眺めることができないのだという憤怒と諦念とが入り交じった感情の伴う投稿である。
このように、新た新たな建物が建つことによる景観の破壊については日本の各所で見られることであり、ときには住民運動に発展して建物の建設計画を、さらには建設そのものを取りやめさせることがあるが、多くの場合はそのまま建設され、建設後はその建物が景観の一部を無し続けるようになる。
また、日本に生まれ育つということは、見慣れた都市の景観が一瞬にして激変する瞬間に立ち会わねばならない可能性があることを意味する。それは何も戦争だけが原因では無い。地震もあるし、津波もある。火山噴火もあれば水害もある。そして、それらの自然災害に対処するために生まれ育った景観のままでは人命にかかわる事態が生じてしまうために景観のほうを変えなければならない場面に出くわすこともある。
ただ、黙って景観が変貌するのをそのまま受け入れるわけにはいかないのまたその通りである。
本書は、戦後復興期の経済優先型都市開発から現在に至るまでの過程を見つめ直すところから始まる。高層マンションの乱立、電線街の無秩序、郊外の均質チェーン店といった光景を醜悪とする一方、日常として受け入れてもいる。なぜか?
従来の景観論は、たとえば京都の景観条例のように欧米の保存条例を理想化した上で、現実を絶望の循環と切り捨てる傾向があった。本書はこれを批判し、景観を視覚美の問題ではなく、社会・文化的な構築物として再考している。まずは生活する人がいて、生活する人にとってのベストが優先されるべきであり、生活者ではない人の提唱する都市計画の病理も暴いているのが本書である。
たとえばニュータウン計画はゼロから都市を造り出すわけであり、ニュータウンに住む人は計画された都市に建設された建物や割り振られた区画に住むわけで、そこに民意は介在せず上意下達の都市計画となる。住民への選択肢は二つ。受け入れた上で移り住むか、受け入れない代わりに移り住まないかのどちらかしかない。
ニュータウン計画でないにしても、没個性な街並みが展開されるのが日本の一般的な光景になっている。本書166ページに掲載されている図版からも感じるのが「うちの近くにありそう」という感想である。ただ、これは第二次大戦で焼け野原になった街を取り戻すという意図、年齢を重ねて家族を築き新たな住まいを手に入れたいという需要、そして、実際に住む人にとってのベストの暮らしを作り上げるという要望が重なった結果である。

本書は総じて、日常の街並みを批判するのではなく見直すきっかけを与える一冊である。景観とは必ずしも失われたものとは限らない。



