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新古代史の会編「歩いて学ぶ日本古代史 3:平安遷都から武士の台頭まで」(吉川弘文館)

歩いて学ぶ日本古代史 3 平安遷都から武士の台頭まで

桓武天皇は、いや、帝位に就く前の名で記すと山部親王は自分が帝位に就くとは思っていなかった。自身は皇族であるが天智天皇系の血筋であるため、壬申の乱以降、天武天皇系の皇族でなければ帝位に就けなかった。おまけに山部親王の実母は身分が低かった。経歴を詐称し、六代前に遡らせて百済王家の子孫である女性ということにして実母の身分の低さをごまかしてきたが、自らの実母の地位の低さというコンプレックスを隠すことはできなかった。

そんな山部親王が即位した。第五〇代桓武天皇である。桓武天皇は新たな時代を始めると宣言するかのように、それまで畿内の一画として認識されてはいても首都である大和国から外れた鄙とあつかわれてきた山背国に新たな都を作った。それも、一度作った長岡京を10年で捨てて平安京を作った。

それからこの国は承久の乱までのおそよ400年間に亘って京都が国の中心であり続けた。ただ、新たな時代を創始したはずの桓武天皇ですら従来の概念は否定できなかった。すなわち、律令に基づく中央集権国家であり、桓武天皇は中央集権の場所を大和国から山背国、いや山城国に移しただけで、中央集権であることは疑いをしなかった。

そんな桓武天皇の思いをよそに、時代は中央集権を前提とした古代から、荘園制により地方が中央の統制から離れていく中世に突入することになる。桓武天皇が知ったら怒りを隠さないであろうが、この事実だけは記さねばならない。

律令制を維持していた180年間は全国的な飢饉が6回。

律令制を捨てたあとの200年間は全国的な飢饉が1回。

そんな平安時代の遺跡を本書は追いかける。そのどれもが律令を捨てたあとのこの国の実相を記している。

平安京の誕生と海の道・山の道

Ⅱ 貴族社会の動揺

Ⅲ 地方へのまなざし、中世への歩み