碁盤目の土地といえば京都を思い浮かべる人が多いであろうが、実は京都以外にも碁盤目になっている土地が日本中のあちこちに存在している。その多くは古代日本に起源を持つことができ、京都のように条里制に基づいて計画され建設された都市、あるいはそれらの都市の影響を受けて発展してきた年の多くが碁盤目になっている。わかりやすい例でいくと鎌倉がそうで、源氏が鎌倉に根拠地を築くようになる前は海沿いの漁村と少し離れた山岳地の麓の集落とに分かれていたのが、源氏の根拠地となったことで海と鶴岡八幡宮とを結ぶ道路を軸に碁盤目の都市が計画され発展していった。なお、平安京のように正確な東西南北ではなく、鎌倉の碁盤目は交差点が直角であるものの、道路は正確な東西南北ではなく斜めになっている。
碁盤目になっているのは都市に限らず、田畑においてもよく見られることであった。田畑を開墾するときに水利を軸として、まずは水利に対して直角、次いで水利に対して平行となるよう区画を設定することが通例であった。公平な水の利用を考えると合理的な考えといえよう。
こうした正方形や長方形を軸とする都市計画は何も日本独自のものではない。世界各所で見られる話であり、有名なところでは古代ローマの軍団都市はそのほとんどが碁盤目に設計されており、起源が古代ローマの軍事都市であるという都市では、現在の日本の京都と同様に区画設定が碁盤目になっている。
こうした碁盤目を基準とする都市計画は現在でも見られる。例えば札幌の中心部も碁盤目であるが、ご存知のように札幌市とは明治維新後に発展した都市であり、律令制の頃の都市計画を継承した都市ではない。都市としての歴史をどんなに長く見ても一世紀半ほどしかない歴史の浅い都市でありながらここまで発展していることを考えると、碁盤目の都市計画はなかなかに友好的なものであるといえよう。
ただし、完璧ではない。碁盤目にすると言うことは土地に無理をさせることでもある。特に高低差や地盤の硬軟を無視した机上の計画より都市計画をスタートさせるため、時には計画が破綻することもある。時には計画の無茶が都市計画を根底から覆させることもありうる。
そういえば、平安京は未完成のまま西半分が打ち捨てられた都市であると同時に、平安京の区画から東に外れる鴨川沿いや鴨川の東にまで都市が膨れ上がった、あるいは、都市そのものが計画時から東にシフトした都市である。計画外のエリアはかつての平安京のエリアと比べて碁盤目の度合いが浅い。



