宗教にしろ、政治団体にしろ、激しい反発を受ける団体というのはどの時代にもどの社会にも存在する。そして、その団体に属する人は、その団体に向けられた反発の声に対し、「我々に対してこれだけの迫害の声が届いているというのは、それだけ我々を恐れているからだ」と考えることもある。
そして、こう考える。
「我々は正しく奴らは間違っている。誤っている連中にとって我々の正しさは恐怖なのだ」と。
たしかに恐怖といえば恐怖ではあるが、それは正しさに対する恐怖ではなく、殺されるかもしれないという恐怖である。それを大袈裟なことと考える人もいるかもしれないが、歴史を振り返ると、まさに恐怖としか形容できないことを平然としでかした連中がいたことに思いが巡る。そして、二度と繰り返してはならないという恐怖を抱く。
ポル・ポト一派はまさにその恐怖だった。
共産主義を信奉するポル・ポト一派がカンボジアを掌握したとき、カンボジアの人口は800万人を数えていた。カンボジアの人達は首都プノンペンを制圧したポル・ポト一派に、そして、誰もが平等というポル・ポト一派の掲げる理想に希望を抱いた。
革命、いや、ポル・ポト一派のやったことを革命とすら呼びたくはないのでカッコ付きの「革命」と記すが、「革命」によって新しいカンボジアが誕生したと触れ込み、あたら悪しいカンボジアを作るために協力してほしいと世界各国に留学していたカンボジア人を自国に呼び戻したのち、ポル・ポト一派のやったのは殺害だった。
全てのカンボジア人を農業従事者とさせるべく都市から追い出し、逆らう者は殺害した。
全ての人が平等な社会とすべく国内での貨幣流通を禁止して、逆らう者は殺害した。
ポル・ポトに反抗する者が出ないよう国内にいる知識人を殺害した。誰が知識人なのかはポル・ポト一派が決めた。本を読めるだけでも知識人、眼鏡を掛けているだけで知識人だ。医師も教師も全員が知識人であり、全員が殺害対象者になった。
子は親から引き離され、子には教育ではなくポル・ポト一派の理想実現の遂行者としての任務が与えられた。
他国であればまだ小学校に通っているであろう年齢の男児を軍人とした。
殺害された医師に代わって医療を担ったのも未だ幼い子供であり、医療知識のない子供が手術で執刀した。
このような社会はおかしいと考えても、考えただけでポル・ポト一派の虐殺対象となった。いや、考えなくても虐殺対象となった。誰をどのように殺すかなど何も考えなかった。ただただ死体が増えていくだけであった。
この地獄が終わったのはいつか?
隣国ベトナムと戦争となり、ベトナム軍が解放者としてカンボジアに進駐してはじめて、カンボジアの地獄が世界に広まった。その地獄は、ポル・ポト一派が権力を握ってからわずか四年で、カンボジアの人口は800万人から500万人へと減っていたというとてつもない地獄であった。
ただ、それでカンボジアの悲劇は終わらなかった。その後も延々と内戦が続いたのである。
この歴史を知るからこそ、繰り返してはならぬと考え、恐怖するのである。



