「第九」はいつできたか?
その問いを見つめたとき、フランス革命、ナポレオン戦争、その後の混迷という、世界史の教科書で必ず習うであろう出来事が背後に控えているのが見て取れる。
フランス革命以前、ホールで開催されるオーケストラの演奏を楽しむことができたのは一部の特権階級だけであった。どんなにカネがあろうとホールに入る手段がなかった。しかし、フランス革命がヨーロッパに波及し、19世紀の幕が開けた頃には、誰であれ入場券を購入できるならホールで音楽に触れることが許されるようになった。
一方で、その特権層向けのビジネスは破綻していた。それまでハプスブルク家の支援のもとに経営を成り立たせていたウィーンのケルントナー門劇場は、ナポレオン戦争の影響で独立採算を求められるようになっていた。
ベートーヴェンの「第九」ができあがったのは、そうした歴史的背景が存在したからである。フランス革命以前のヨーロッパを包み込んでいた閉塞感を書き記したシラーの詩は多くの人の目にとまり、ベートーヴェンはシラーの詩を土台にして、オーケストラとコーラスの融合という斬新な音楽芸術を考え出す。これまでにも無かったわけではないが、ほとんど着目されてこなかったこのスタイルを当時の大流行音楽家ベートーヴェンが採用したことで、音楽はより多くの人のもとに届くようになる。
一世を風靡したフランス革命により世の中が新しくなるのではないかという期待感と、ナポレオン戦争という現実の悲劇、失われる多くの命、そして社会の貧困。ベートーヴェンはナポレオン戦争後の混迷の渦中に現れた希望の光ともなったのである。
斬新であった。あまりにも斬新であった。
現在では当たり前のオーケストラと合唱の組み合わせも斬新であった。
楽譜の売り方をはじめとする第九の売り出し方も斬新であった。
生み出された音楽そのものが斬新であった。
時代の変容の中にあって、トップランナーであり続けた人物の足跡、そして、その人物の生み出した最高傑作の成立背景、受容、展開を本書は書き記し、日本国における第九の披露、伝播、現在を描いて筆を置いている。
今に生きる我々が当たり前に感じ、伝統にすら感じることも、誕生したときは斬新で伝統に反し、伝統を重んじる社会においては斬新すぎて相容れないものであったことを、本書は思い出させてくれる。



