加耶、あるいは任那、日本の歴史を学ぶと必ず出てくる地名であるが、いまいちピンと来ない人も多いであろう。実際、新羅や百済、高句麗といった朝鮮半島の国々と違い、そもそも国家としての歴史を有していない。
余程詳しい教科書でない限り、加耶や任那のことが詳しく記されることはない。せいぜい、大伴金村の失脚につながる割譲事件に出てくる程度である。しかもそれは日本史の教科書であり、世界史の教科書で扱われることはまず無い。
しかし、歴史の教科書での扱われ方が乏しくとも、その地に人が住み、百済でも新羅でもない地域として存在していたのは間違いないのだ。
かつては日本の一部、あるいは日本の植民地と見做されていた。昭和生まれの人であれば「任那日本府」という単語を耳にしたこともあるであろう。しかし、現在はそのような解釈が一般的とはなっていない。大和朝廷につながる何かしらの権力が存在していた可能性は高いが、それが日本の一部であったとは言い切れないのが現状である。
本書が解き明かすのは、数少ない文献史料、そして、発掘結果から現時点で明らかとなっている、古代の朝鮮半島南部と日本との関係である。これは歴史学の宿命であるが、現時点で接することのできる史料しか学説の論拠とすることができず、論文執筆は常に制約が伴う。一度の発掘で論文が全否定されることなど珍しくもないのが歴史学の宿命であるが、そのリスクを踏まえて記すと、加耶/任那は、かつて唱えられていた任那日本府ほどの明瞭な日本の植民地というわけではないにせよ、何らかの形で日本との接点は強かった地域となる。そして、時代とともに新羅と百済に飲み込まれていき、朝鮮半島から姿を消し、今となっては痕跡を辿るしかない地域である。