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福間良明著「「勤労青年」の教養文化史」(岩波新書 新赤版 1832)

「勤労青年」の教養文化史 (岩波新書)

昭和20(1945)年を期に、それまで信じていたことが一瞬にして崩壊した。

玉音放送を聞いた大人は自らを見つめ直した。

生まれたときから国が戦争をしていた子供は自らを作り始めた。

今をいかにして生きるかという現実と並行して、教養への需要が生まれた。

それは純然たる教養への欲求であると同時に、自らを作りあげる土台への希求でもあった。

そうした教養への需要に対して供給としての青年学校も誕生し、教養を高めることを前提とする雑誌も創刊され、多くの人が教養に触れることが可能となった。

ただ、それは時代とともに教養への需要から教育への需要に変化した。

現在は多くの人が高校に進学する。16歳から18歳は高校生であるというのが一般的な認識になっている。しかし、終戦直後からこのような情景が作り出されたのではない。中学まで義務教育となったが、中学卒業と同時に就職する若者も多かった。

その結果、高校に進学した者と中卒で就職した者との間で断絶が生まれた。中学入学当時は同じ教室で机を並べる仲間であったとしても、中学三年になると進学する者と就職する者とで断絶が生まれ、教育での明確な差別まで誕生した。

このときの断絶は就職後も同じであった。同じ職場に就職したにしても、中卒で就職したならば四半世紀ほど経ってようやく手にできる地位を、高卒での就職ならば就職後ただちに、あるいは就職から数年で手にできるようになっていた。

現行の教育制度の導入前にも似たようなことがあったが、尋常小学校卒業後にただちに就職した者と、中等学校をはじめとする学校に進学した者との間の断絶が存在したが、進学した者の割合そのものが小さく、断絶は問題になっていたがそこまで如実な断絶ではなかった。

それが戦後になると、高校進学が珍しくなくなり、過半数を数え、七割、八割、九割と高校進学率が上がるにつれて中卒就職の肩身は狭くなり、せめて高校を卒業しておけばと嘆息するようになった。

その嘆息を踏まえて定時制に自らの教育の場を求める者もいたが、職場によっては定時制を無事に卒業したとしても高卒と認定しない職場もあった。業務後の教育を快く思わない人もいる一方、定時制の教育の質もあまり高いものではなかった。いや、こちらは現在進行形でも続いている話でもあるから過去形で記すべき話ではないか。また、高校全入時代を迎えたことで定時制は働きながら通う場所ではなく他の高校に不合格であった若者が仕方なしに通う場所という見られかたもするようになり、退学者の割合も全日制と比較できない高い数字を数えるようになっている。

残酷な言い方になるが、現在はある程度の高等教育を受けることが前提となっている社会が成立している。書店を眺めても多くの人の教養への意欲を刺激する書籍が並んでいるのが目に映る。就業するにしても社員に対して相応の教育水準が身についていることを求めるようになっている。

その一方で、そこからこぼれ落ちた人も数多く誕生してしまっていることは目を向けていかなければならない。

その具体的な方法となると、一朝一夕で思いつくものではないが……