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佐藤卓己著「流言のメディア史」(岩波新書)

流言のメディア史 (岩波新書)

以前から兆候は見えていた。東京都知事選挙で現職の小池知事が再選されたところまでは事前予測の通りであっても、立憲民主党をはじめとする野党各党が推した蓮舫候補が三位になることは予想できなかった。

その後のアメリカ大統領選挙でトランプ候補が大統領に復活することが決まり、兵庫県知事選挙ではメディアから非難を受けていた斎藤元彦氏が再選したことで、既存メディアに対する流れが見えてきた。

ただ、この流れそのものは以前から見えていたし、以前から存在していた。そして、少なくとも2021年に刊行された本書では既に警告されていた。

本書は、1938年の火星人襲来を扱ったCBSのラジオドラマが生みだしたパニックを解説するところから、当時の最先端メディアであったラジオが果たしたマイナスの側面を描き出して始まる。

ならば、既存メディアは問題ないのかというと、関東大震災後の自警団、その前の明治期の西郷隆盛生存説や、米騒動、戦前の凄惨な事件やクーデタなどで新聞が果たしてしまった負の側面、そして、戦前昭和以降の言論統制の実情とメディアとの関係を描き出る。既存メディアもまた危険な流れを助長させていたのだ。

さらにこの危険性は戦後も続く。戦後の言論の自由がかえって、権力批判イコール言論の自由となり、真実や事実よりも権力批判を優先させるメディアの姿勢を作りだしてしまったことを警戒する。本書では、朝日新聞が展開した“従軍慰安婦”をめぐる吉田証言が誤報で合ったことを公表したのは2014年になってからであり、それまでは吉田証言が真実であるとされていたことを取り上げている。何しろ吉田証言は、これ以上ない権力批判の材料だ。真実でも事実でもなくても、権力批判に有効ならば報道するに値するというのがメディアの姿勢であり、真実と事実を報じること、すなわち権力批判をしている自分達が間違っていたと認めることは何よりも耐え難いことなのだ。

また、東京電力福島第一原子力発電所に関係する一連のデマも本書では取り上げられていることも注意すべきところである。もっとも、本書の論調としてはデマのほうに荷担している向きもあるところは注意すべきであろう。

本書に記された既存メディアの報道姿勢は現在も続いている。新たなメディアとしてテレビが加わっても、基本的には変わっていない。

しかし、その次に登場したメディアが時代を変えつつある。

ネットだ。

ネットも、既存メディアも、玉石混淆である。ただ、情報量が大違いであり、玉石混淆であってもネットにおける玉の情報精度は既存メディアの玉の精度を上回っている。しかも、情報の取捨選択が容易であり、権力批判イコール言論の自由という図式は存在しない。ゆえに、既存メディアにはない言論の自由が存在する。

その言論の自由が、これまでの図式を変えつつある。著者は巻末での懸念として挙げていたが、その懸念は現実化しつつある。

ただし、そこでいう現実化は著者の懸念を良い意味で裏切る結果であったと評価できる。

今のところは……