サリンジャーの「バナナフィッシュにうってつけの日」(A Perfect Day for Bananafish)のラストで、シーモア・グラスは拳銃で自らのこめかみを撃ち抜く。いわゆる「グラス家」シリーズの一作目のラストであり、「ライ麦畑でつかまえて」(The Catcher in the Rye)でセンセーショナルを巻き起こしたサリンジャーが三年間の沈黙を破って発表した作品のラストである。
ここまでは人口に膾炙されるところである。
しかし、本書の著者はさらに一歩先を進んでいる。
そもそもシーモアは本当に自ら命を絶ったのか?
この問いから二人の作者はサリンジャーの作品を読みほぐしていき、誰もが感嘆することとなる結論を導き出す。その感嘆の詳細をここで書き記すことはさすがにネタバレに過ぎるので自重するが、サリンジャーの小説を読んだ人ならば圧倒させられる解釈に出会うはずだ。
もう一点、これは書き記すことが許されよう。
「バナナフィッシュにうってつけの日」が冒頭に掲載されているサリンジャー短編集「ナイン・ストーリーズ」はたしかに「ライ麦畑でつかまえて」の三年後の刊行である。しかし、「バナナフィッシュにうってつけの日」そのものは1948年に発表された短編小説である。つまり、「ライ麦畑でつかまえて」より古いのだが、「ライ麦畑でつかまえて」の原型となる作品は1945年12月に掲載されている。そして、その8ヶ月前にサリンジャーはアメリカ陸軍の兵士としてホロコールストのひとつであるカウフェリンク第四強制収容所の解放に立ち会い、ナチの残虐を間のあたりにし、PTSDのために入院している。
とりあえず、ここまでは書ける。
これ以上はネタバレになるので自重する。