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仁藤敦史著「藤原仲麻呂:古代王権を動かした異能の政治家」(中公新書)

藤原仲麻呂 古代王権を動かした異能の政治家 (中公新書)

奈良時代後期の政治家、藤原仲麻呂。またの名を恵美押勝

唐に対する憧れを越えて唐にかぶれ、職名を唐風に変更するなど急速な改革を次々に繰り広げるものの、後ろ盾を失った末に権力を失い、反乱を起こして自滅した。このあたりが教科書における藤原仲麻呂に対する知識であろう。

しかし、実際に権力を手にした藤原仲麻呂が政治家としてどのような政策を展開したのかを見てみると、良かれ悪しかれ藤原仲麻呂はなかなかに有能で、他の貴族達より一歩先を進んでいた人物であるとするしかないのだ。藤原氏が他の貴族より優越した地位にあることを前提とする反面、学問を重視しての実力登用を繰り広げて役人の質と量の向上を果たした。

忘れてはならないのは、藤原仲麻呂の時代は、当時の人口の三分の一が命を落としたという天然痘の大流行からの回復期にあたる時代であり、日本国内の全てにおいて人手不足となっていた時代であるということ、また、国境の外に目を向けると中国では安禄山の乱が繰り広げられ、朝鮮半島では新羅国内の政情不穏と日本への再度の侵略計画が練られていた時代であるということである。つまり、人が一瞬にして激減したところで国外の政情不安にも対処しなければならなくなっていた時代である。そのために、かなり無茶をしても産業復興と侵略への対処の双方をこなさねばならず、その前提で藤原仲麻呂の繰り広げた政策を眺めると、百点満点とは言えないにしてもかなりの高得点で評価するしかないのだ。

藤原仲麻呂がその地位を失ったのも、日本国が迎えた緊急事態が最悪期を終え、徐々に平常運転に戻る過程において、藤原仲麻呂を必要としなくなったからだとも言えるのである。

ところで、藤原仲麻呂の時代はまだ平安京が存在しない、すなわち、京都がまだない。そのため、この時代を解説する地図に京都はない。頭の中では理解できているが、読み終えた現在でも違和感が存在する。