本書の著者である中東久雄氏は日本料理店の店主である。幼少期から家業の手伝いとして食に接し、高校卒業後に料理の道に進んで27年間に亘る修行生活を経て、1997年に自らの店を銀閣寺の近くに開き、その店は「京都でもっとも予約が取りづらい」という評判を得るまでに成功。著者も料理人として数多くの表彰受けつつ現在に至っている。美味しいとはどういうことかを記すにあたって、この人以上に適切な分析をする人は日本中見渡してもそうはいないであろう。
その著者が、そもそも美味しいとは何なのかを突き詰めたのが本書である。
突き詰めると、同じ食材を同じように調理して、同じように提供したとしても、同じ美味しさを伝えられるとは限らないということである。味覚だけでなく、視覚や嗅覚、触覚といった他の感覚も美味しさを味わうのにに大きく関与しているし、その人の育った食文化や、一人一人の経験が味覚に与える影響も無視できないのだ。ゆえに、普遍とはならない。
そのことを著者は自らの経験に基づき、わかりやすく記している。
ちなみに、上記画像の傍線部は、中東久雄氏が幼き頃の失態であるかのように書き記している箇所であると同時に、私のようなスギ花粉に苦しむ人間にとっては、幼くして多くの人を救ってくれた勇者と感じる文面となっている箇所でもある。
私の杉花粉への憤怒の感情はさておき、著者は上記のように幼き頃から食に接し、食を体感してきた人である。私は今までの人生で著者の料理を味わったことがないが、著者の店に足を運んだ方々の話によると、それはもう絶品に次ぐ絶品であるとのこと。そして、著者の料理を味わったかたの話によると、本書を読むことで著者の料理を味わったときの感動が蘇るとのことである。
本書を読むことで、そもそも美味しいとは何なのかを味わうのもまた一興であろう。