いささめに読書記録をひとしずく

お勧めの書籍や論文を紹介して参ります。

おじいちゃんといっしょドラッカー講座朱夏の陽炎

浅羽通明著「「反戦・脱原発リベラル」はなぜ敗北するのか」(ちくま新書)

「反戦・脱原発リベラル」はなぜ敗北するのか (ちくま新書)

本書刊行は2016年である。その頃は安全保障関連の諸々の法律が成立するか否か、また、原発を再稼働させるか否かが重要な政治問題・社会問題とされていた。そして、それらの動きに対して反対の意見を見せていたのが「リベラル」と自称する人達であった。彼らは頻繁にデモを繰り返し、反対の論陣を張り、メディアを巻き込んで注目を集めた、ということになっていたが、失敗に終わった。「リベラル」らの行動は無意味であった。

本書の著者は「リベラル」を冷笑しているのではない。むしろ応援している。リベラルな人であるからこそ、「リベラル」を自称する人達に対して、それらの方法では主張を成就できないことを説いている。

なぜか?

社会を変えることが目的ではなく、社会の負け組であるという現実から逃れるための逃避先なのだ。孤独で社会的な繋がりもなく、誰からも注目されずにひっそりと生きている。社会に出ようとしても必要とされていない、より正確に言えば必要とされる資質を充足していないために相手にされないという現実から逃れるために、わかりやすいワンイシューで政権を攻撃することに自分の価値を見いだしているのであり、社会を変えることは主目的ではない。社会は間違っており、間違った社会をただす自分は正しいという構図を維持し続けることが重要なのだ。

優秀で完全無欠の自分という妄想があり、自分はどのような文句を言っても正当な指摘であって称賛されるべきものであるが、自分に対する異論は許されず悪であり容赦なく弾劾されるべき暴論である。そこには何ら多様性などなく、平和生皆無のむき出しの攻撃性が示され続けている。「リベラル」を自称する人は断じてリベラルではない。

その結果、本書に記されるように、「リベラル」を自称する人達は敗れ続ける。

好き好んで負け戦をし続けているからである。