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加藤幹郎著「映画館と観客の文化史」(中公新書)

映画館と観客の文化史 (中公新書)

映画とは、作る人がいて、映す人がいて、観る人がいる。これらが揃ってはじめて成立する作品である。誕生してから一世紀半近い歴史を有する映画について、個々の映像作品について論評する書籍は多々あるが、映画を映す施設である映画館や、映画館に足を運んだ観客について論評した作品は本著がはじめてではないであろうか?

著者はまず、アメリカをはじめとする国外での映画館と観客の歴史について記す。映画の歴史は19世紀に始まるが、劇場の歴史はそれより古くからある。独立からの年数が短いアメリカであっても、劇場はあるが映画館がない期間と、映画館も存在する期間とでは、前者のほうが長い。都市であれば必ず劇場はあったし、どんな小さな集落でも常設の劇場ではないにしても演劇を披露できる施設は存在していた。そして何より、教会があった。教会の構造は映画の上映にも向いており、教会の設備を利用して映画を上映することも珍しくなかった。

映画が誕生してからしばらくはそうした施設が映像を公開するスペースとして利用され、映画が興行として見込めると判断されるようになったのち、映画の上映のみを前提とした映画館として成立するようになった。ここで重要なのは、映画をいかに上映するかではなく、コンテンツをいかに快適に楽しめるかに視点が置かれたことである。当初の映画は無声映画、すなわち映像のみで音が存在していなかったため、音を映画館で用意した。日本では活動弁士となるところであるが、アメリカだとBGMを提供する楽団となる。映画館の中に楽団が待機し、観客は映画を観ると同時に、映画に合わせて演奏される楽団の演奏の耳を傾けていた。さらに、コンテンツを楽しむために映画「館」という概念も取り外され、ドライブインシアターも誕生した。

さらにコンテンツを楽しむという概念は拡がりを見せた。映画を観るのでは無く、フィクションの世界を楽しむテーマパークがあり、その一貫として映画が採用された。

これが日本だとどのような展開となったのか?

詳しくは本書を参照していただきたいが、基板となる文化に違いはあるものの、似たような経緯を辿った映画文化を醸造していることがわかる。あるいは、日本文化そのものが西洋文化に対する類似性を持っているということか。