首都が違うと言えばそれまでだが、それよりももっと大きな違いがある。
奈良時代は理想と現実とで理想を優先させた時代であり、平安時代は現実を優先させた時代である。
より広い面で捉えるならば、大化の改新や壬申の乱といった古代からの決別と律令制に伴う中央集権国家の成立を目論んで、実践し、完成させた時代が存在しており、そのメインとなっているのが奈良時代である。一方で、律令制の矛盾が現実との大きな乖離を生じさせ、現実を優先させるために律令制の根幹を否定する時代が誕生して、そのメインとなっているのが平安時代である。もっと言えば、平安京遷都から50年近くはまだ奈良時代であったとも言えるし、平安時代叢書の筆者である德薙零己は薬子の変の終結を以て奈良時代の終焉としている。
ただし、それは明瞭な分割ではなく、時代の暫時推移である。律令制の構築前から存在していた豪族はそのまま地域の有力者として郡司をはじめとする朝廷官職に組み込まれたし、律令制崩壊後も律令制のシステムはそのまま存在していた。どちらが良いとか悪いとかではなく、時代が最善と考えた社会を構築していった結果であり、恵美押勝をはじめとする反乱があったにはあったが、隋から唐に移り変わったような国家存亡の危機となったわけではなく、本質的には平和裏に時代の推移を実現させていったのがこの時代である。
本書はこうした時代の若き研究者達の最新研究をまとめ、巻末には著者や編者の座談会のまとめを載せた一冊である。多くの人は教科書で習ったかの時代に対する認識が今となってはもう古くなっていること、時代の違いはあるものの本質的には現代社会に生きる人達と同じ人達が生きていたことを目の当たりにするはずである。