日本語の「自由」に相当する英単語は二つある。Liberty と Free である。
たとえば、選挙で投票する自由は Liberty 。つまり、既に存在する権利としての自由である。しかし、80年前は女性であるというだけで、100年前は納める税が少ないからという理由でその権利が存在しなかったのがこの国であり、存在しない権利を獲得するのが Free である。
この二つの「自由」を念頭に置いて人類の歴史を振り返ると、人類の歴史が段階的に発展するというなら、古代ギリシャには存在していた自由がなぜ中世には失われたのか。自由を「取り戻す」とはどういうことなのかを考えさせられることになる。Free から Liberty にどのように移ったのかではなく、手にしていた Liberty を手放し、Free を求めなければならなくなったのはなぜかという疑問に着目せざるを得なくなる。
著者は本書に於いて、経済学の視点から、古代ギリシアから啓蒙時代、近代日本までの歴史を総覧し、人間精神の自由、政治経済体制としての自由の在り方を求めている。その上で、自由という概念が法などの制約があるからこそ意味を持つという視点を提示し、市場経済が暴走し、民主主義が機能不全に陥ってしまうのは、自由が足りないせいか、それとも過剰なせいかという問いを投げかけている。
経済を前提に考えると、豊かさと自由さとが必ずしも両立するとは限らない。かといって、不自由を課すと豊かになるかというとそうでもない。また、経済の伸張を考えると平等の概念が破壊され、豊かな者とそうでない者との間に格差が、そして断絶が生まれる。この断絶が自由を破壊する。断絶の敗者も以前に比べれば豊かであるために格差を簡単に否定はできない。格差が豊かさに対する代償だとするなら、自由の喪失が豊かさの代償にもなる。
かといって、自由を喪失させたままで是とすることはできない。
では、どこまで自由を取り戻し、保持するか。
この問題はあまりにも難しい問題である。