いささめに読書記録をひとしずく

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ジョアン・C・トロント著,岡野八代監訳,相馬直子・池田直子・冨岡薫・對馬果莉訳「ケアリング・デモクラシー:市場、平等、正義」(勁草書房)

ケアリング・デモクラシー 市場、平等、正義

先日𝕏(旧Twitter)で話題になった投稿があった。「介護は突然やって来る」と題された漫画での実体験であり、本投稿の内容は多くの人が体験しながら、実際に体験するまでは自分の身に降りかかってくると想像だにしないことである。

本書は "Careing Democracy: Markets, Equality, and Justice" のタイトルで2005年に刊行された書籍の邦訳であり、本書冒頭の日本語訳についてのコメントとして著者自身が書き記しているように、本書は主としてアメリカ合衆国における実情を書き記した書籍である。

しかし、それは何もアメリカだけの特異な現象である、あるいは世界的な現象であるものの日本は例外であるという現象ではなく、世界の多くの国で見られる現象である。

では、いったいどういう現象か?

ケアである。

子育てや介護といったケアをいっさいしないという前提で日常生活が成立している人が多く、ケアの必要性を認識していない、認識していたとしても誰かに押しつけている、そして、ここで押しつけられている人というのが、女性であるとか、特定の人種であるとか、その社会における階級的弱者であるとか、他に就職できなかったためにその職業に就いたとか、そのような強弱関係が存在し、強者が弱者に押しつけているという構図が成立している。

前述の突然の介護についても、介護に直面する前は自分が介護の担当者になることを全く想定していなかっただけでなく、24時間のどこを削っても介護に充てる時間がないとう現実が待っている。つまり、ただでさえ余裕がないところに介護が追加されるため、介護される側より先に介護する側が破綻する。それが現在の現実であり、特に団塊ジュニア氷河期世代が、もう迎えたか、あるいは間もなく迎える現実である。

さらに問題なのは、この社会が誰かに強制された社会であるわけでなく、民主主義の結果として誕生した社会であるという点である。著者はその点を強く批評する。個人の時間に対する要求が増大し、子どもや高齢者、そして自分自身のケアを十分に行うことが難しくなっていることを強調しているのだ。

介護の観点から私たちの価値観やコミットメントを再考する必要があるという著者の主張は説得力がある。本書に於いて著者は、ジェンダー、人種、階級、市場原理がいかに介護の責任を誤って配分しうるかを考慮する必要があることを示唆し、より公正な介護の配分を求めている。

ただ、実際に介護しなければならない立場を実体験した側である私からすると、時間に対する要求の増大ではなく、問題なのは時間の絶望的な不足だ。仮に8時間労働を6時間労働、4時間労働に減らせたとしても、新たに生まれた時間は不足している時間の充足に充てられて終わる。常に時間が無い日常を過ごしている人間に時間を与えても、新たに得た時間を介護に回す余裕など生まれない。